東京独歩記(とうきょうひとりあるき)

上京とか挫折とかアル中とか結婚とか子供とか、承認欲求とか、自己顕示とか。

電波ちゃん

 子供の頃、じゅくじゅくの柿が散乱してる田舎道で、近所のガキから、「お前は天才だ」と吹き込まれた時から、私の電波系は始まった。

 そのガキ曰はく、「ひつじ年生まれで、双子座の人間には天才が多い」ということらしく、私がまさにその条件に一致したため、「お前は天才」という稚拙な結論が導き出されることとなった。

 私も馬鹿だからそれを鵜呑みにしてしまい、自分を客観視できる大人になるまでの数十年間、その洗脳が解けぬまま、若き日々を駆け抜けてきて、今に至る。 

 とはいっても、電波をこじらせ周囲に多大な迷惑をかけるようなレベルではなく、ある程度世間には適応して生きてきた。

 ただ、振り返ってみた時に、我ながら「なんて痛い奴だったのだろう」という、思い出すたびに恥ずかしくなり、自己嫌悪してしまうほどの黒歴史は積み重ねてきた。

 

 例えば、こんな電波を受信したことがある。

 ある時、学校の図書館にある伝記のマンガで、『空海』を読んだ。その伝記のなかで空海は、日照りで苦しむ農民たちのために、雨乞いを行い、見事に農民たちを救った。

 その時の、雨乞いに使用された呪文が『アンビラソンケン ソワカ アンビラソンケン ソワカ ウン』だった。

 空海のその偉業に私は大いに感銘を受けた。

 それからしばらく経ったある夏の日の、プールの授業が終わった時のこと。

教室に戻る途中で、友達が「ああ~、この後雨降ってくれないかな~」的なことを言った時、その言葉に私は「ここだ!」と思い、その友達にこう言った。

「任せてよ。俺、雨降らせること出来るし。」

そう言い放つと私は、両手を合わせ、すでに若干曇っている空に向かい、

「アンビラソンケン ソワカ アンビラソンケン ソワカ ウン!」

と呪文を唱えだした。

すると、タイミングの良いことに、数分後にはパラパラと雨粒が落ち始め、本格的に雨が降り出したのである。

 はっきり言って、ただの偶然なのだが、頭の悪い少年二人を信じさせるには充分すぎる奇跡だった。

 その時からしばらく、私の中で私は『空海の生まれ変わり』という設定になってしまったのだ。

 

 大人はみんな、かつては子供だった。しかし、ほとんどの人がそのことを忘れ、殺伐とした日常に埋没していく。大切な何かをなくしちまったと歌われることもある。

 だがしかし、私には「空海事件」のような忘れてしまいたいもののほうが多い。そうした黒歴史たちが不意に頭をもたげ、私の脳裏に迫ってくるたび、私はたまらなく恥ずかしくなり、「ああ!もう!いいって!」と、ひとりで声を荒げ、彼奴らを打ち消す日々を過ごしているのである。